安心する選択と立ち止まって考えるきっかけ

最近、立ち話の中で、
こんなやり取りをすることが増えています。

「こうなった場合って、こうなりますよね?」
「やっぱり、そうなんですね」

話を聞いて、確認して、
「知識としては、だいたい合っていますよ」とお伝えすると、
少しホッとしたような表情をされることがあります。

ただ、話を終えたあと、
「じゃあ次に何をしようか」という空気になることは、
あまり多くないようにも感じています。

少し安心してもらえたことは伝わってくるのですが、
そこから先に進みたいのかどうかまでは、
分からないまま終わることもあります。

話をして、
「自分の考えは大きくずれていなさそうだ」
そう確認できたところで、
会話はいったん区切りがつき、
それぞれ、いつもの生活に戻っていく。

そんな終わり方が多いように感じています。


不安を感じたとき、
行動につながる情報というよりも、
まずは気持ちが落ち着く材料を探すこと。

「それなら大丈夫そうだ」
「想定していた通りだった」

そう感じられたことで、ひとまず安心する。

それは、考えることをやめたというよりも、
今の状態を肯定できた、
という感覚に近いのかもしれませんね。


不安をまったく感じていないわけではない。
今はまだ、その不安と正面から向き合うほどでもない。

そんな少し曖昧な状態のまま、
日々の生活を送っている私もその一人。

安心できる説明を聞くと、
「今すぐ決めなくてもいいのかもしれない」
そんな気持ちになることがあります。

一方で、話を聞く中で、
「これは自分が関わらないと進まないことなのかもしれない」
と、ふと感じる瞬間もあります。

確認して安心したあと、
生活は大きく変わらないまま続いていく。

不安が消えるわけではなく、
ただ日常の中に、静かに混ざっていく。
そんな感覚に近いのかもしれませんね。


だからこそ、ここで一度、
立ち止まって考えてみたくなります。

どんな家族でいたいのか。
どんな生き方をしていきたいのか。
揉めないこと。
誰か一人が無理をし続けないこと。
できるだけ穏やかな関係でいること。

そうしたことは、
「どうしたらいいか」を考える前に、
「どう在りたいか」を
そっと自身で確かめるところから
始まっていくのかもしれませんね。


自分が関わることなのだと感じたとき、
ゆっくりと、「確認」から「選択」へ近づいていく。

そのとき、
どんな時間を大切にしたいのか。
どんな関係でいたいのか。

答えを急がずに、 問いだけを持ち続ける。
すぐに何かが変わるわけではなくても、
考え方の向きが少し変わることはあるのかもしれません。

そのくらいの変化から、
始まっていくのだと思っています。

この記事を書いた人

コラン相続コンサルタント事務所 坂本俊一